3d cg これはアニメ絵じゃなくて、CGです。


久しぶりに、投稿してみます。
最近、microsoft storeのXboxgameにはまってます。
ぶっちゃけスマホでの、Hダウンロード物に幻滅し、storeで、フラッシュなどを使った安価で楽しいプログラムを購入し、自作具合を再考慮したりしてました。思うことは、人物メインから、ほかの対象へと、創作の必要性をシフトしないといけないので、シフトしようと思います。
サイトのエロ広告のモエ絵を見る限り、人間のイメージ能力の産物は器をこねて作って、コーヒーを入れて飲むように、簡単な自己満足で終わるコンビニエントな考えように落ち着かせ、人物を描いたアートなるものをひたすら、他の人に誇示することで、自分の名声を確立した、過去の芸術家の葛藤を再確認すると、超劇的ヌードに近いものが、漫画雑誌の横に並ぶ中で、超崇高な志を持った女性のファンタジーを2D上に現出させて止まなかった、才能ある画家たちが、その男性であるが上でのエゴに満ちた個人的ファンタジーを・・・・、追及する姿はマッドだとの共通認識が存在する。僕も、劇的ヌード写真のほうが嫌いに思える。マッドなそういう男性と、劇的ヌード女性イメージはあいいれない。 だから、マッドを否定し、コンビ二エンスをもとめると、自分のそういう創作物の価値なるものは、そういう意味では、他人には、押し付けることなく、個人的なものに還元されてしまう。公共良俗に反するような、創作は、公共の場所に置くべきでない。そうでない場所にしまい込めばそれでいいのか? いや、よく考えると、僕は、崇高な志を持った美しい女性が、絵にしたいほどに好きだったのだと、美術の時間に言えるくらいにそういう人間だったのだが、出来上がった創作物をどう扱うか、それが何なのかを考えると、それは、式紙術に近いような、奇術であるかもしれない。創作心とインスピレーションと、アイデアのポジティブ感が損なわれると魔術的なものになるが、魔術というものは楽しくなく、面白くない。系統的に、魔術的では、芸術的要素に、戻れなくなるからだ。芸術家の心的強さは、退廃性のある魔術要素を心理的に清めることができなければ、実際に、マッドに見える。 かたずけることとは、ごみ要素の認識整理、除去を行い続けることを意味する。 つまり魔術的創作は、すぐにゴミに代わるのだが、そのゴミこそが好きだ!とのキャラクター要素がごみ男を作る可能性がある。 魔術的創作に囲まれた男(ごみ男)の認識だ。

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